泉穴師神社
いずみあなしじんじゃ


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【公式HP】

泉穴師神社は、式内社で和泉五社のひとつ、泉州二ノ宮であります。
 穴師の里、千古の神境に神殿奥深く鎮ります。主祭神は、
 農業の神であらせらる 天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)
 紡織の神であらせらる 栲幡千々姫命(タクハタチチヒメノミコト)
の御夫婦二柱の神であります。
 天忍穂耳尊は天照大御神の御子神で皇室の御祖神の系列にあらせられ、栲幡千々姫命は御名の通り、栲は古い昔衣装の原料となる麻・絹・綿等一切の繊維類の総称であり、幡は「潤v「服」の字に相当し、布帛の総称で、物「はたもの」は、織機の意味で衣服の紡繊に種々工夫改良を加えられた姫神様であらせられ、泉州の地が今日農耕並に紡繊を似って繁栄して居りますのも洵に御神徳のいたすところであります。
 衣食の安定は政の中心でありますので、往古より歴代の天皇の当社に対する御崇敬は、文献に数々残されて居りまして枚拳にいとまありません。
 又、古来より、幼児虫封じに霊験あらたかと云はれ、参拝者多数ございます。
考謙天皇(天平勝宝年中)村上天皇(天暦中)崇徳天皇(大冶中)の御宇鎮疫祈願御叡感の綸旨を賜はって居りますし、正倉院文書によりますと聖武天皇が和泉国五社大明神に社領御下賜の際、当社には大鳥神社と共に千三百石を下賜されました。
武家の方に一班をあげますと、天正三年十月二十日将軍織田信長公より社領安堵の御朱印状を給はって居ります。
文に
当国五社大明神領事如近年有来可有社納之次山林竹木等
一切不可伐採候也仍状如件
天正三年十月二十日         信 長 朱印
泉州五社へ


【祭神】

当社祭神については、次の5説がある
@天忍穂耳尊・栲幡千々姫命
    『和泉名所図会』『大阪府誌』『大阪府全志』『大阪府史蹟名勝天然記念物』『当社由緒』
A級長津彦・級長津姫
    『泉州志』『和泉志』
B天富貴命・佐古麻槌神
    『神社覈録』『大阪府神社明細帳』『地誌提要』
C天富命(=天富貴命)・大己貴尊
    『別本泉州志』
D御食津神
    『神祇志料』


【文化財】

泉穴師神社本殿 附 棟札五枚 国指定重文 建造物
泉穴師神社摂社 春日神社本殿 附 棟札一枚 国指定重文 建造物
泉穴師神社摂社 住吉神社本殿 附 棟札二枚 国指定重文 建造物
木造天忍穂耳命坐像 国指定重文 彫刻
木造栲幡千々姫命坐像 国指定重文 彫刻
木造男神坐像 国指定重文 彫刻
木造女神坐像 国指定重文 彫刻
泉穴師神社 木造男女神像群  府指定有形 彫刻
泉穴師神社 太鼓 府指定有形 工芸品
泉穴師神社 拝殿 附石鳥居 市指定有形 建造物
穴師薬師寺 木造四天王立像 市指定有形 彫刻
泉穴師神社 クスノキ大木群 市天然記念物
泉穴師神社合祀殿 泉大津ふるさと文化遺産


泉穴師神社

◆泉穴師神社修理事業の概要  泉穴師神社の修理は戦後 2 回実施されました。昭和 32 〜 33 年の修理は本社本殿の半解体工事と摂社春日社・住吉社の解体工事、昭和 54 年の修理は本社本殿屋根の全面葺替を行っています。今回の修理は、本社本殿が前回の修理から 35 年、摂社春日社および住 吉社が 56 年ぶりの実施となりました。
 工事は主に檜皮葺屋根の葺き替えと塗装の塗り替えです。修理の原因は屋根檜皮材の腐朽、塗装・彩色面の褪色・剥離の他、壁板のずれ、組物の緩み、錺金物の欠落などがあげられます。これらは主に経年劣化によるものが多く、建造物の維持・保存のためには定期的な修理が欠かせません。
 工事実施にあたっては、まず建物周囲に足場・素屋根を設置しました。屋根修理では、軒先廻りの野地板の破損修理、檜皮葺き替え、屋根上の鬼板、千木、勝男木等破損部分の修理を実施しました。塗装の塗り直しでは、褪色した柱や蟇股、組み物等部材について、昭和 32 〜 33 年修理完了時の状態に可能な限り近い復元彩色を実施しました。本殿の板絵・扉絵については、特に屋外に面した部分で劣化が著しい状況でしたが、過去に撮影された写真等を参考に復元し、記録保存のため図面を作成しました。
技術
 平成の大修理では、伝統の技術がさまざまな箇所で生かされました。屋根工事では檜皮 ( ひわだ ) 職人が竹釘を用い、檜皮で屋根を葺きました。社殿等の彩色では、膠( にかわ ) と伝統的な顔料を中心に使用しました。木工事では、破損した部材を忠実に補修・再現しました。飾金具についても、使用できるものについては金箔を施し、取替が必要なものは忠実に再現しました。技術的に困難を極めたのは、本社本殿中央の板絵と、本殿両脇の扉絵の修復でした。剥落が激しかったこれらの絵も、技術者たちの努力により、あざやかに蘇りました。
信仰
重文 泉穴師神社摂社住吉神社本殿 重文 泉穴師神社本殿 重文 泉穴師神社摂社春日神社本殿
 泉穴師神社は古代から地域の信仰を集めてきた延喜式内社です。伝承では、白鳳元年 (672) の創建とされます。祭神は天忍穂耳命 ( あめのおしほみみのみこと ) と栲幡千々姫命 ( たくはたちぢひめのみこと ) を主神として祀っています。このうち栲幡千々姫命は織物の神様で、繊維産業が盛んな泉大津の繊維業者の信仰を集めています。祭神については、級長津彦 ( しなつひこ )・級長津姫神 ( しなつひめ ) という風の神であるとの記録もあります。「穴師」の名称は、冬に北西の方角から吹く風「あなぜ」からついたともいわれ、その意味では風の神様が祀られたとも考えられます。
 平成 28 年 8 月 17 日、泉穴師神社所蔵の神像 80 躯が、国指定重要文化財に指定されました。京都市上京区の大将軍八神社に並んで、1 神社で所蔵する重文の神像数としては日本最多です。特に、平安時代の作である主神 2 躯は彫刻・彩色ともに秀逸です。摂社春日神社には天富貴命 ( あめのふきのみこと )・古佐麻槌命 ( こさまづちのみこと ) が、摂社住吉神社には表筒男命 ( うわつつのおのみこと )・中筒男命 ( なかつつのおのみこと )・底筒男命 ( そこつつのおのみこと )・息長足姫命 ( おきながたらしひめ ) が、それぞれ祀られています。
歴史
「穴師」という地名の初出は、『和泉国正税帳』天平 8 年 (736) の記録にみえる「穴師神戸」です。神社の名は延長 5 年 (927) の『延喜式』「神名帳」に「泉穴師神社二座」、『延喜式』「玄蕃寮」に「和泉国安那志」とみえるのが最初です。『続日本後紀』『三代実録』などの六国史にもたびたび登場するなど、古代においては朝廷との関係も深い神社でした。
 中世においては和泉五社の二宮として信仰を集めました。五社制度とは、各国で主要な神社五社を定めるシステムです。室町時代には神宮寺である穴師薬師寺が勢力を誇りましたが、安土桃山時代には豊臣秀吉の根来攻めの影響により衰退したと伝わります。慶長7年 (1602)、豊臣秀頼の命で片桐且元により本殿が再建され、現在、重要文化財に指定されています。江戸時代には豊中村を支配した大和郡山藩片桐家の保護を受けましたが、明治時代に入ると神仏分離令 ( 明治元年 ) や神社合祀 ( 明治41 年 ) により、運営システムや氏子圏が大きく変化しました。

泉穴師神社平成大修理完成記念企画展 甦る泉穴師神社〜平成大修理のすべて〜(パンフレット)






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