桑名神社
くわなじんじゃ


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【鳥居】

春日神社の銅鳥居
三重県指定有形文化財 昭和40年12月9日指定
この鳥居は、寛文7年(1667)に七代桑名藩主松平定重によって建てられました。この烏居の前には、初代藩主本多忠勝が慶長7年(1602)に寄進した烏居(木造)がありましたが、承応2年(1653)に大風で倒壊したと言われています。
治工 辻内磐右衛門種次(鋳物師}
寸法 高さ6m90cm・笠木長さ8m10cm・柱回り57.5cm
銘文(表〕 華表巍巍 惟直惟園 神威可畏 保定萬年
  (裏〕 寛文第七祀秋八月穀旦
しるべいし
「しるべいし」は「迷い児石」とも言われ、人の大勢集まる所に立てられました。同じものが多度大社の鳥居の横にもあります。
自分の子どもが迷子になると、左側面「たつぬるかた」にこどもの特徴や服装などを書いた紙を貼って、心当りのある人が右側面の「おしゆるかた」へ子どもが居た場所などを書いて貼ります。
平成23年3月 桑名市教育委員会

社頭掲示板



【由緒】

桑名神社・中臣神社
くわなじんじや・なかとみじんじゃ
一般に春日神社と称され、三重県桑名市三崎町。旧県社。祭神は桑名神社が桑名地方の祖神とされる天津彦根命と天久々斯比命を、中臣神社は天日別命と永仁年間(1292−1299)に合祀されたと伝える春日四柱神を祀る。創建は明らかではないが、桑名の総鎮守社で、ともに『延喜式神名帳』に列した。古来朝廷、武家の崇敬が篤かった、徳川時代(1603−1868)には幕府より朱印100石を寄進されており、社殿の修営も歴代の桑名藩主の手によって行われた。例祭は桑名神社が7月17日。中臣神社が9月18日。また、8月第一土・日曜日に行われる石取祭は、氏子が小石を俵につめて神前に献上するのでこの名があるが、土曜日の午前零時を期し、三〇数台の山車が、いっせいに鐘や太鼓を打ち鳴らし、夜を徹して市中を練り歩く。一名きちがい祭とも呼ばれている。

神社辞典



桑名神社二座

桑名は郡名に同じ、和名鈔、(郷名部)桑名、(久波奈)○祭神桑名首祖歟○桑名三崎町に在す、今三崎大明神と称す、(俚諺)〇姓氏録、(右京神別下)桑名首、天津彦根命男天久之比乃命之後也、

神社覈録



縣社桑名神社 中臣神社

祭神 天摩彦根命 天久々斯比乃命(桑名)
祭神 天日別命(中臣)
相殿 建御雷神 齋主命 天児屋根命 比売神
創建年代詳ならすと雖も、延喜式内社なり、神名帳考証に云く、「桑名神社二座、天津彦根命、天久之比乃命」と、姓氏録云、「桑各首、天津彦根命男天久之比乃命之後也、」神名帳考証再考に云く、「桑名は桑田にて、ナダ同音の例也、祀神天津彦根命、天久之比乃命也、社地桑部村糠田社の東西に在り」、神社覈録に云く、「桑名神社二座、桑名は郡名に同じ、祭神桑名首祖歟、桑名三崎町に在す、今三崎大明神と称す、」神紙志料に、「桑名神社二座、今桑名市中三崎にあり、三崎大明神と云ふ、蓋桑名首の祖神、天津彦根命の子、天久之比命を祭る」と見え、東海道名所図会には、「凡毎年7月7日、石取神事あり、又8月18日祭を行ふ」と有り、大日本地名辞書に云く、『桑名神社、延喜式に列し、二座とあり、即桑名首の祖神とす、今三崎明神と称し、春日神を配祀す、往時は神宮寺佛眼院を置き、田禄五十石を給はられたり、又石取と云ふ神事あり、古の石占の遺風ならんと云ふ、日本書紀、日本武尊の從者に善射者石占横立あり、聖武天皇は本郡石占頓宮に御したまへり、或は疑ふ石占は此地の別名なるを」と見え、其他近代に於ける当社の事歴知るべきなし、而して明治8年郷社に列し、同14年6月縣社に列せらる社殿は本殿、拝殿、神樂殿、社務所、宮番所ニケ所、廻廊、瑞垣門、参籠殿等を具備し、境内坪敷1606坪(官有地第一種)を有す。

明治神社誌料






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