猪田神社(下郡)
いだじんじゃ


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【社地】

社殿背後の斜面から昭和48年に「猪田経塚」が発見され、三基の経筒石室から瓦製経筒二、三筋壼経筒一が検出されると共に、崩壊土中からも経筒底部が11個確認され、幅1m、長さ6mの範囲に13基の経塚が存在したとみられている。その他の採取遺物も併せて12世紀末頃のものと思われ、経塚の営造もこの頃と考えられている。とくに瓦製経筒の一つには草花と「大日」の文字が描かれ、当社の西方の森寺(もりでら)には平安時代中期の木造胎藏界大日如来坐像(県指定文化財)を本尊とする長隆寺があり、これとの関連が推測される。(『猪田経塚』昭和50年)この寺は当社の宮坊であつたとも伝えられる。また当社より東南約300mほど離れた所には、昭和53年に発掘された彌生〜室町時代の複合遺跡である「下郡遺跡」がある。古墳時代前後及び後期の集落跡がみつかると共に、特に平安時代の横板組の井戸が検出され、井戸の底部から銅製鈴・由物底板・櫛・齋串・灰釉陶器・黒色土器・土師器などの多くの遺物のほか、「□□出可租稻七束四把四分延暦」の墨書木簡一片が出土した。伊賀郡の郡衙は、古郡にあつた伊賀駅が壬申の乱で焼失したあと(現在の上郡・下郡の地に移つたといわれており、この下郡遺跡は伊賀郡の郡衙跡ではないかと推定されている。(『下郡遣跡営掘調査報告』昭和53年)


【猪田神社本殿】

県指定重要文化財・建造物
猪田神社
本殿は一間社流造・屋根は檜皮葺で、軒は二軒繁垂木とし、浜床を設け、正側三方の縁と浜床に擬宝珠高欄をめぐらす。
柱は円柱で縁長押、頭貫を回し、軸部を固め、連三斗の組物をのせる。
中備として正側面に蟇股を入れるが、側面の蟇股は、巻斗を省略して直接に妻虹梁を受け、その上に象鼻様の拳鼻をつけた大瓶束をたて棟を受ける。
全体に丹塗りを貴重に極彩色を施す桃山時代の華やかな建物である。
天正伊賀の乱で焼失し、その後天正十五年(1587)、慶長九年(1604)の棟札があるが、後者が現在の建物に該当すると考えられる。
(昭和37年2月14日指定)
伊賀市教育委員会





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