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【高田神社】 高田は多加多と訓べし○祭神詳ならず○高原郷寺林村に在す 田中紀丈云、古クヨリタヵタト唱来レリ、サレドモ古事記ニ高田ヲアゲタト訓メレバ、アゲタト称フペキヵ、今寺林村ニァガタァリ、コレァグタナラバ、社号モアゲタト云ハンゾ古カルペギト云、コハ古事記ノ高田ヲ、アガタト訓シニヨリテ云ナラメド、古点モナク、カツ書紀ニ然訓リ、字ノママニヨムモアシカラジ、國書云、然云地名モタダシト云ルニアラズヤ、サハイへ古事記ノ高田ハサシモヨマントモ、地名ニ至り多キヲ捨テ少ナキヲトルハイカガナルウヘ、世俗サハイハザル事ナレバ、旧訓ニ從フペシ、例ノ古學ト称スル輩ノ僻ハトラザルヲヤ 類社 河内國澁川郡鴫高田神社の條見合すべし 神位 三代實録、貞観9年10月5日庚午、授飛騨國從五位下高田神從五位上 神社覈録 |
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【郷社 高田神社】 祭神 未詳(或云高魂神 又一云六御縣坐神) 合祭 白山比盗_ 別雷神 建御名方命 天津彦根命 創立年代詳ならすと雖も、延喜の制式の小社に列し、荒井郡五座の一たり、式内高田神社の所在に就いては、種種の説ありて一定せず、然れども特選神名牒に、 「所在大江村(字高田〇今属吉城郡)今按神名帳考ニ、高原郷寺林村ニアリ、注進状明細帳ニハ大江村トァリ、飛騨神社考ニハ、古川郷上北村、モト古川町縣旧地古町ニアリシヲ、天正17年ニ杉本社ト合祀ストミエ、又古川郷是重村貴布禰神社アリ、古川里ノ南一本松ノ邊ヲタカダト云、今田地ノ字トセリ、然レバ是レ高田神社歟ト、古川人、野村美之云ク、ヨキ考ナレド精カラズ、寺林村ト云モ取二足ラズ、大江村ゾ、實ノ高田神社ノ正シキ鎮座ニハァリケルト云ルモ、明証アルニアラネバ信ジガタシ、故今姑ク注進状明細帳ノ説二從ヘリ」 と見えたり、別に十分なる反証なき限りは、本書も此説に從ふべし、清和天皇貞観9年10月5日庚午、從五位下高田神に従五位上を授けらる、(〇三代実録)明細帳に依れば、本社祭神は或は高魂神と云ひ、或は六郷県坐神なりとも云ひて、未だ一定する所あらす、神名帳考証に、高田神社祭神高魂神」と見え、斐陀後風土記に「高田神社祭神六御縣神」とあれば、何れに拠るを正しとすべき歟、然れとも亦特選神名牒に説あり、云く、 「今按社説祭神六御県神トアレド、社号ノ高田ハアゲタニテ、其地勢上田卜云ベキサマナルニョリテ、此神ヲ祭レルナリト云ルニテ、証アルニハアルベカラズ、故ニ今從ハズ」 と、然れば高魂命を祀れりとなす説正しき歟、後考を侯つべし、 神名帳考証に云く「高田神杜、高魂命、姓氏録云、日奉連、高魂命之後也、三代実録六云、飛騨国荒城郡人日奉部若善、続日本紀五云、飛騨国人三尾臣永主賜姓笠朝臣」 中世以来本社を白山社と称せしことあり、美濃国長瀧寺及び白山別当越前国平泉寺の僧徒等、勧化同壇と称して、國内を俳徊すること多年、且曰く、白山は飛騨美濃越前加賀の國々に跨る大山にて、その嶺上に鎮座の大神は、即ちこれ國々の鎮守神なれば、必ず之を祀らざるべからずと説き廻りしため、木社もまた其椅語に惑はされて、時の神職社僧、遂に白山大権現と称するに至りしなりとそ、されど幾もなく、文化年中高田の旧号に復し、社殿及び華表等を改修して、社頭に高田神社の石標を建てたりといふ、然るに近年又、同郡鷹利村高野組某家より、今を距る七百年前の古文書を発見せしに、其中に当社は式の阿多田太神社にして、宮谷寺持と載せたりと云ふ、取るに足らざる説とす、明治5年郷社に列せらる、同年村社上加茂神社、同多度神社及び境内社諏訪神社を、本社に合祀す。 社殿は本殿、覆殿、幣殿等を具傭し、境内坪数550坪(民有地村持)を有せり。 明治神社誌料 |