足羽神社
あすわじんじゃ


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【由緒】

社伝によると、継体天皇は応神天皇六世の皇孫で近江国高嶋郷三尾野というところに御降誕され、御名を男大迹王、又は彦太尊と称されて、御父は彦主人王、御母は振媛と申され垂仁天皇皇孫で、皇子は、この御母の里高向郷(丸岡町)でお育ちになり、御慈深く叡智に長じ、御徳の高い御方に成長された。
 当時越前の国は、雨水が溢れ流れて田畠等も作れず、人の住むにも限られた処しか無い国であったので男大迹王は大層憐れに思われて、足羽山に浄地を卜して御社を建てて大宮地の霊を鎮祭して神に誓い、地の理を調べて今の日野、足羽、九頭竜の三大川を作り三国に水門を開き諸水を海に落され越前平野が出来上ったという。
この大土木工事は継体天皇が越前に居られた間の最も大きな御業績であり、ようやく農業も盛んになったばかりでなく、川を利用して舟で荷を運べる様になった。 その他、道を通じ人々の居住を定め耕種、養蚕、製紙、採石の技術、その他諸産業興隆の道を教えられて人家繁栄の土地と成り、今に伝えられているのは、全て継体天皇の御恩恵によるもので、昔より越前開闢の祖神と称え崇め尊ばれて来た。
時恰も武烈天皇が崩御されて皇嗣が居られなかったので諸大臣が相談し、大連大伴金村等が男大迹王を天皇として、御迎えに参り、御年五十八歳で遂に河内国樟葉宮にて二十六代天皇に即かれた。
 天皇は越前の国を離れられるにあたり、この土地を慕い、又後に残す人々の事を心配される余りに、「永く此の国の守神になろう」とおぼしめして、自ら御生霊をこの宮に鎮め、御子馬来田皇女を斎主として後事を託して都へ出発された。
媛は天皇の霊を中央に大宮地の霊を左右に配祀し、阿須波神の御名より、足羽宮と称え奉る事になった。
足羽群、足羽川、福井等の名も皆相殿神の名に起縁していると伝えられている。
 ゆえに代々の朝廷が大いに尊崇の念を現せられ世々の将軍、国主等からも厚い尊敬を受けている。
創祀御鎮祭の年を紀元として毎五十年に勅許宣命並に御宸筆を受け大祀を執行するのを定例にしていた。
このため仁孝天皇の宸筆「大宮地之霊」の題字は旧国宝にされていたが戦争で焼失している。
社領も足羽山から旧社村に及び広大な御厨地、神田地が置かれていた。 
その後、戦国時代の混乱により、現域の社地を残すだけとなったが、代々の国主を始め国中の人々の信仰を得て現在まで伝えられ、御創立以来千五百年の歴史と天皇御自創という誉高い社格と伝承を有する神社である。
当社の累代社家からは、足羽(牧田)敬明・住夏父子を、江戸時代中期に輩出している。
 敬明・住夏父子は、六国史のうち、特に『続日本紀』以下の五国史の注釈研究をなし、本県の国学史をみる上で、看過できない。
なかでも、わが国唯一の『三代実録』の注釈書である『三代実録故事考』を大成していることは特筆されるべきであろう。
 敬明は蔵書家で、その文庫を足羽文庫と称したが、相つぐ橋南の大火で、烏有に帰した。
 現在は、同家の出身画家、愛岳の作品群がこれに代る。
当社は近世中期、松平氏の庇護を受け、社家町を形成するほどに繁栄していた。

福井県神社庁



【由緒】

足羽神社の創建は5世紀後半、男大迹王が足羽山に大宮地之霊(坐摩神)を勧請したのが始まりと伝えられています。男大迹王が継体天皇に即位しこの地を離れる時、自らの分霊を主祭神として産土神となりました。延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内小社に記載されるなど中央にも知られた存在で朝廷からも庇護されました。足羽神社は天正年間(1573〜1593年)の兵火により一時衰退しましたが、新たに北の庄城の城主となった柴田勝家(織田家家臣)が崇敬し、社殿の改修が行われ、江戸時代に入ると歴代福井藩(藩庁:福井城)の藩主松平家が庇護し社領の安堵や神供物の奉納などを行っています。又、足羽神社の社家・馬来田家は、継体天皇の皇女馬来田皇女の後裔と伝えられる家系です。境内のしだれ桜(樹高6m、幹周2.5m、根回り2.63m)、もみじ(樹高12m、幹周3.22m、根回り2.13m)は福井市指定天然記念物に指定されています。

社頭掲示板



【牧岡神社】

牧岡神社ハ継体天皇御宇21年6月15日丙午馬來田皇女闇お神ヲ勧請シ牧岡神社ト御尊崇有之故神社ノ摂社ナリ、以後清和天皇之皇子貞純親王曾テ御信仰アリ延喜14年9月5日自魂ヲ該社二可合祭トノ爲蒙托宣相殿二鎭座ス、同16年5月7日辛酉四品貞純親王被薨二付同年6月28日辛亥醍醐天皇詔勅在テ親王ヲ以テ爲本殿故二後世二及テ桃園宮トモ號ス、同殿八幡大神ハ源頼義朝臣心願二依テ寄附之訣社ノ義昔時ハ足羽郡四井邑平岡二鎭座、延喜式二云枚岡神社則是ナリ、天正元年9月朔日神霊ヲ可奉遷旨馬來田皇女ヨリ43代正四位上式部少輔足羽戸景明神託ヲ蒙リ足羽宮中二合祀奉ル、從當國前國主松平中納言源秀康其源家ノ祖神ナルヲ聞種幣ヲ捧セラレ代々信仰有之方今境内愛宕神社同殿

神社明細帳






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