神功皇后の母葛城高額媛は天日矛の孫で、但馬比多詞の女。高額姫は但馬国に生まれて、大和に移ったと思われる。但馬に当社鷹貫神社があり、葛城に高額郷がある。 |
由緒 創立年月不詳なるも祭神鷹野姫命は神功皇后の御生母にましませり延喜式の制鷹貫神社と記して小社に列し明治6年10月村社に列せらる。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
鷹貫神社 鷹貫神社は竹貫村字梅谷429番地(1853)に鎮座。延喜式内社に属する宮社であって、中世末期になり菅原大明神・稲荷大明神・牛頭天王等々、幾多の神々を勧請して併祀しているが、神社の名称は昔から鷹貫神社である。(別称・兼称なし) 社人別当「神主」をおかず、村の支配人であり氏子持ちである。 ただ、鷹貫神社併祀の『牛頭天王』は元来、竹貫字天王山に祀ってあったものであるが、これに関して真狩藤吉氏蔵書に以下のように書かれている。 【「牛頭城」を「鷹ガ城」と称する真保(サネヤス/竹貫牛頭城主名ならん)早朝空中に鷹の舞うを見て早太に一矢仕ちと、早太承って鷲羽の流鏑(りゅうてき)をかけて射る、不過(あやまたず)両羽を縫って落とす。それにより「鷹貫」と号し城を「鷹ガ城」と号すと云う。】 国府村誌 |