『寒川郡前山村多和神社由来遷宮控帳』によれば、平安時代の天長元年(824年)に大和国三輪神社より勧請。 寛文9年(1669)2月5日に当地の大庄屋が実地調査の折、当社が式内社多和神社であることを確認している。 当社は山中にあるが、多和の「たわ」は、名詞で「山の鞍部」あるいは「峠」。動詞で「たわむ」、すなわち「しないまがる」、「重みにたえかねて曲がる」の意であるからふさわしい立地環境といえる。 |
多和神社由緒略記 当社は世俗に大田尾明神とも云う。蓋し往古現今の大字前山は多和村と合して多和郷と称しせしを以て神名を多和と付したるならん祭神は手置帆負命並びに大己貴命にして今より1000余年の昔弘法大師及び藤原佐太夫政富の勧請により創始せしと旧記に見えたり、人皇第60代醍醐天皇の御時寒川郡多和神社として延喜式讃岐24社の一に選定せらる、中古は甚だ盛んにして社殿は永承4年治暦2年寛元元年永徳2年永正2年文禄2年寛永12年萬治元年に夫々改築行はる又文政2年高松藩主松平頼恕社地二畝四歩の寄進あり現社殿は大正14年10月之を竣功せり 社頭石碑 |