男山神社
おとこやまじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】神前神社 讃岐国 寒川郡鎮座

   【現社名】男山神社
   【住所】香川県さぬき市寒川町神前3967
       北緯34度17分25秒、東経134度13分4秒
   【祭神】誉田別命 足仲彦命 息長足姫命
       岐神『讃岐二十四社考』

   【例祭】9月28日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】延喜7年(907)4月八幡を勧請
       延長4年(926)造営
       天慶8年(945)造営
       正暦3年(992)造営
       永承4年(1049)勅賜仏舎利
       寛治4年(1090)造営
       治承3年(1179)造営
       建仁2年(1202)造営
       弘長2年(1262)造営
       弘安4年(1281)6月蒙古襲来の祈祷
       正応4年(1291)造営
       嘉吉元年(1441)造営
       戦国期土佐乱世で焼失
       天保11年(1840)造営
       明治初年「男山神社」と改称
       明治初年村社
       明治40年10月神饌幣帛料供進神社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「神前八幡宮」と称していた
   【社殿】本殿流造檜皮葺
       幣殿・拝殿・神庫・神門・手水舎

   【境内社】八坂神社・金毘羅神社

醍醐天皇の御宇、当郡内で男山相応の地に八幡宮を勧請せよとの勅を拝し、本寺宝蔵院住職明印法印詔を奉じて勧請した。


由緒

延喜7年(904)4月28日の創祀といわれ、醍醐天皇の御宇、当郡内で男山相応の地に八幡宮を勧請せよとの勅を拝し、本寺宝蔵院住職明印法印詔を奉じて勧請しました、一郡一八幡の始めである。
山の形は東西に長く、前に大川があり、8月の御祭礼にはこの川で放生会がとり行なわれておった。
永承4年(1049)仏舎利の勅納があり、弘安四年(1281)6月宝蔵院住職正範は勅を奉じて本地供を修し、同年9月に官陟を賜った。 貞和年間兵火に罹ったので後世になって氏子により再建された。もと神前八幡宮と呼ばれていたが明治初年男山神社と改称し、村社に列せられ同40年10月24日神饌幣帛料供進神社に指定せられた。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




男山神社

南流山男山八幡神社は延喜7年4月28日醍醐天皇の御宇、当郡内で京都男山相応の地に八幡宮を勧請せよとの勅を拝し本寺紫雲山極楽寺宝蔵院住職明印法印、詔を奉じて京都男山石清水八幡宮より御神霊を御勧請申し上げ一郡一社の始めとして創祀された。また延喜7年5月には同住職が別当寺として本神社の西隣に宝善寺を建立された悠久千古の歴史に映える由緒ある神社である。
われわれ同人は、この幽邃の地に鎮まります神々の深遠なるご神徳と創祀1080年を記念して奉替事業を起し左記の事蹟が完工したので、ここに碑を建てて神恩感謝の念とその事蹟を永く後世に伝える。
昭和62年1月吉日

社頭石碑



御神木

この御神木は延喜7年4月28日(約1080年の昔)本神社創祀の時、京都の男山(京都府八幡市八幡高坊)石清水八幡宮より移植された霊験あらたかな枯木であります。私たち氏子の手でいつまでも残し伝えて参りましょう。

社頭掲示板



男山神社

男山神社」と刻まれた石標が立っている参道正面の石段を上がると、狛犬が迎えてくれる。
そのすぐ前の鳥居を潜ると左側に御手洗いがある。ここで心身を清めてから随身門と呼ばれる、この神社をお守りしている神様が祀られている八脚門を通りぬけてお参りをする。
千古の社叢に包まれた境内は厳かさが漂うが、急な石段を上がると、石段の奥に立派な拝殿がある。
その奥に、仲哀天皇・神功皇后・応神天皇をお祀りしてある「三間社」と言われる、一辺に4本の柱が立てられている正方形の本殿がある。
この神社は、醍醐天皇のご命令を伝える公文書を受けた宝蔵院住職の明海法印という偉い坊さんが、延喜7年(907)4月に、京都男山山頂にお祀りされている岩清水八幡宮の分霊をお迎えして建てられたもので、「神前八幡宮」と呼ばれていた。
現在の建物は寛永2年(1625)に再興されたものである。明治になって「男山神社」と改称され、昭和になって社殿が改築されて現在に至っている。

さぬき市文化財保護協会寒川支部



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