阿自岐神社
あじきじんじゃ


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【私たちのふる里】

私たちのふる里安食西村は、今から約1740年くらい前の応神天皇の御代に、百済から渡って来た阿自岐氏が、生活していく上で一番大切な水に恵まれたこの安食の郷に、農耕の仕事を広めて住みついたところと、日本の古い書物(古事記・日本書紀)にも書かれているように、長い歴史に培われたふる里です。
私たちはこのように、古い歴史と立派な祖先を祭っている阿自岐神杜を共に永く後世に伝えたいものです。
人物像は、渡系人阿自岐氏を想像したものです。
平成9年3月。

社頭掲示板



【由緒】

阿自岐神社 二座
阿自岐は假字也、和名抄、(郷名部)安食、○祭神詳ならず○安食郷安食西村に在す、郷中産土神也

神社覈録



郷社 安自岐神社

祭神 昧鋤高彦根神 道主貴神 天児屋根神
保食大神 須佐之男神
創立年代詳ならずと雖、此地に住みし安食氏の人々が、其祖神を祀りたるものなるべし、さて安食氏は阿智使主より出でたり、されど此社の祭神に阿智使主の各なきは、後世誤られたるものか、猶考ふべし、然るに神名帳考証(度會延経著)に「古事記曰、速須佐之男命曰、我心清明、故聖之子得手弱女、披二座者素戔鳴尊、配亨道中貴(荒魂也)と見え、又淡海國木間拠第三に「正一位安食大明神相殿保食大明神、所祭神二座、大巳貴命、倉稻魂命なり」云々と見ゆ、又本社には安永八亥歳五月十七日付補陀落山資珠院覚静寺三十九代釈一閑操記行年六十八なる文書を蔵せり、云く
安食大明神記録
「夫近江国湖東犬上郡安食荘奉守護神号両社権現而崇敬仕御神体本宮正一位安食大明神奉敬重則西方佛陀報身之智光隠暫大悲之開門知朝之群情為利因位行身顕出シ玉ヒ地蔵菩提薩陀奉(以下略)
と、是れ蓋後世の作なるべきも、稍其梗概を窺知するに足るべし。
醍醐天皇延喜の制小社に列し、犬上郡七座の中の二座たり(廷喜式)、古來安食ノ庄の産土神にして、明治6年郷社に列す、又社記には敏達天皇の勅願所なりと云へり、
社殿は本殿、拝殿、其他神輿庫、社務所、唐門、瑞垣等を具備し、境内地824坪(官有地第二種》あり、域円樹木欝叢として風致備れり。

明治神社誌料






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