妻沼聖天山歓喜院 白髪神社【旧地】
めぬましょうでんざんかんぎいん 所在地 社名















   【延喜式神名帳】白髪神社 武蔵国 播羅郡鎮座
   【延喜式神名帳】楡山神社 武蔵国 播羅郡鎮座
          (現在社)大我井神社

   【現社名】妻沼聖天山歓喜院 白髪神社【旧地】
   【住所】埼玉県熊谷市妻沼1511
       北緯36度13分41秒,東経139度22分29秒
   【祭神】
   【例祭】
   【社格】
   【由緒】

   【関係氏族】
   【鎮座地】

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【公式HP】 妻沼聖天山歓喜院
   【社殿】
       

   【境内社】

日本三大聖天の一つとされる。一般には「妻沼聖天山(めぬましょうでんざん )」と称されることが多い。
式内社白髪神社はこの地に頓挫していたとされる。
平安後期に当地を支配した斎藤実盛が、自らの守護神であった聖天社を勧進し、以来総鎮守として発展するが、同時に白髮神社の信仰は衰退した。
神仏分離令によって明治元年12月に聖天社境内を分割し、東側に伊邪那岐神・伊邪那美神を祀る「二柱神社」を建立。聖天社そのものは聖天山歓喜院が寺院として運営。
明治2年に社名を二柱神社から、古来以来の森にちなむ大我井神社と改称し社殿を造営。
女沼村聖天宮を式内社楡山神社の論社とする説もある。


妻沼聖天山歓喜院

聖天山は平家物語、源平盛衰記や謡曲実盛、歌舞伎実盛物語などに、武勇に優れた義理人情に厚い人柄が称えられております、斎藤別当実盛公(さいとうべっとうさねもり)が当地の庄司として、ご本尊聖天さまを治承三年(1179)にお祀りしたのに創まります。次いで実盛公の次男斎藤六実長(さねなが)[宗光(むねみつ)ともいう]が出家して阿請房良応(あしょうぼうりょうおう)となり建久八年(1197)に本坊の歓喜院を開創いたしました。
 ご本尊聖天さまは、正しくは大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)と称せられ、福運厄除の神として信仰されております。ご本尊は錫杖の中央に祀られているので御正体錫杖頭(みしょうたいしゃくじょうとう)として国指定重要文化財でありますが、秘仏でもあります。
 妻沼聖天さまは日本三大聖天さまの一つとして知られ、特に縁結びの霊験あらたかで、夫婦の縁はもちろんのこと、家内安全・商売繁盛・厄除け開運・交通安全・学業進学などのあらゆる良縁を結んでいただけるので、祈願を籠める信仰の寺院であります。

社頭掲示板






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