豊玉彦命は古くは牟婁郡大田荘浦神村の塩釜六社明神社の地に鎮座した。この地に旧浦神と称した神が坐したが、何れの時にか那賀郡池田荘神領村へ遷座した。その旧地に小祠を建てなお浦神神社と称して産土神としたが後世塩釜明神を勧請して産土神とし浦神社を末社とした、今も境内に浦神の小祠ありという。
国津姫命は和泉の海中に出現し大木峠を越えて神通畑に暫坐して、そのご現在地に遷座した。 |
海神社 当神社は豊玉彦命・国津姫命を主祭神とし垂仁天皇の御代に忌部の宿弥が神のお告げによって創建したものと伝えられている。 延喜式神名帳に登載されている県下でも古く名を知られた神社である。 往古から朝廷や多くの人々の尊崇も厚く神田も現に鎮座する神領をはじめ、北山の山麓一帯まで神社の領有地であった。 連綿として栄えて来たこの神社も天正13年豊臣秀吉が紀州遠征の折、本殿二柱・供殿・拝殿・神楽殿・宝殿等兵火にかかり宝物・古記録等ことごとく焼失してしまった。 明治6年4月郷社に昭和17年9月に県社に昇格されたが戦後は社格も廃止され今日に至っている。 社頭掲示板 |
海神社 当神社は、通称「海神さん」の名で親しまれ、豊玉彦命・国津姫命を主祭神とし、垂仁天皇の御代、忌部宿祢が神のお告げによって、創建したものと伝えられている。 『延喜式』台帳をはじめとして、『三代実録』・『本国神名帳』・『南紀神社録』・『紀伊の国名所図絵』・『紀伊続風土記』等々の権威ある図書に、登載されている県下でもその名の知られた神社である。 昔から朝廷の尊崇も厚く、神田も多く領有していた。 現に鎮座する神領もその名の示す通り、神社の領有地であった。 連綿として栄えて来たこの神社も、天正13(1585)年豊臣秀吉が紀州遠征の折この社の、本殿2社・供殿・拝殿・神楽殿・宝蔵等ことごとく兵火にかかり、宝物、古記録等焼失してしまった。 明治6年4月、郷社に、昭和17年9月に県社に昇格された程の格式の高い神社であったが、大東亜戦争によって、今日に至っている。 毎年10月15日は、神社の例祭で、昔は、青年達の勇壮な「駆け馬」「奉納相撲」等の行事が、一層、お祭り気分を盛りたてたものであったが、近年、駆け馬の行事はすたれ、そのかわりとして、本神興や樽神輿・可愛い稚児のお渡り、お餅投げ等が行われている。 和歌山県神社庁 |
海神社 海神社 境内周四町半余 禁殺生 祀神 豊玉彦命 国津姫命 拝殿 末社四社 穂高見命社 豊玉姫社 玉依姫社 事代主命社 延喜式神名帳那賀郡海神社 本国神名帳那賀郡正二位豊海神 本国神名帳那賀郡従五位上浦上国津姫大神 村材中にあり 池田ノ荘十六箇村の産土神なり 延喜式海神社 本国神名帳豊海神浦上国津姫大神 海上は即海神なり 称への同きを以て文字転するなり 又浦上大明神といふ庚正2年(1456)の鐘の銘に那賀郡池田荘浦上御宝前とあり 此の鐘今は転して高野山小田原弥勒堂にありといふ 按するに延喜式の海神社は即本国神名帳の豊海神にして寛文記に海上大明神といふ是なり 又別に浦上国津姫大神御坐して別殿に鎮り坐せり故に本国神名帳にこれを載せて一社とす 三代実録仁和元年(885)授紀伊国正六位上浦上国津姫従五位下一是なり 此神海神社と一つ所に並ひ立給ひて海神浦上称名も近き故これを総て海神明神といひ又浦上明神ともいひて両社を兼ぬる称の様になれ来れり 猶日前宮国懸宮と両社並ひ立給へとも惟日前宮といひて両社の通称とすると同かるへし 寛文記に旧一ツ神にて或いは海上と称へ或いは浦上と称ふといふは誤なり 天正の兵火に社頭悉焼失す 同14年神主山田宿禰秀延仮殿を再建し二座の神を相殿に祀り奉る 今に至り 社伝に海神豊玉彦ノ尊熊野楯ヵ崎に在す それより此地に鎮り坐せりといふ 楯ヵ崎は牟婁郡木本ノ荘甫母浦の東南十八町にあり 其の崎に向へる出埼に室古明神といふを祀る 是当社の古宮ならんか 猶牟婁郡木本ノ荘の條合考ふへし 按するに此地其神の神戸の地なるを以でて北地に齋き祀りしなるへし 村名神領といふはこれによるならむ 又いふ当社の鳥居三箇所あり 熊野楯ヵ崎にあるを一の鳥居とし南中村にあるを二の鳥居とし社地にあるを三の鳥居とすといふ 浦上国津姫尊は本国神名帳に天神の部に載す 神名帳に見はるる所なけれはいかなる神かは詳ならす 摸するに牟婁郡太田荘に浦神どいふ村ありて今浦神の社なし 楯ヵ崎の社を勧請の時此神も此地に遷せるならん 牟婁郡太田荘浦神村 ?に竃神社の條合考ふへし 中古両部に祀り来し故天正の兵火以前の堂舎の左の如し 本地堂 方五間 護摩堂 方三間 回 廊 十間 十四間 廳 二箇所 舞台 拝殿 二間 十間 宝蔵 鐘楼 方二間 玉垣 反橋 二間 十間 鳥居 二箇所 右の外に神宝社記古文書の類悉皆天正の兵火に焼亡せり 社領田三町八段 これも没収せらる 是より有来し神事祭礼も皆廃絶す 慶安年間 官命ありて両部を改めて唯一に復す その神主を山田氏といふ 紀伊続風土記 |