国柱命神社
くにはしらみことじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】国柱命神社 伊豆国 那賀郡鎮座

   【現社名】国柱命神社
   【住所】静岡県賀茂郡松崎町岩科南側 176-3
       北緯34度44分7秒,東経138度46分39秒
   【祭神】国柱姫命
   【例祭】7月16日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】創立年月不詳
       『伊豆国神階帳』「従四位上国原姫の明神」
       天文11年(1542)再建
       嘉永3年(1850)造営
       明治6年9月村社
       明治18年6月18日国柱命神社と改称

   【関係氏族】
   【鎮座地】もとは本村字山口之内下屋敷に鎮座
        中世、現地に遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「岩科の宮」「神明宮」と称していた
   【社殿】本殿神明造茅葺
       幣殿・舞殿・社務所

   【境内社】小鷹神社・茂山神社・琴平神社

三島神が半島を開拓しつつ北上の途次、その属神である当社の祭神がこの地を開拓したと伝う。
明治18年以前は、岩科の宮、神明宮などと称していた。
もとは本村字山口之内下屋敷に鎮座、中世、現地に遷という。
国柱命神社は、伊豆国造が職掌のひとつとして行っていた、伊豆の国魂神の祭祀と繋がっていたと思われる。


国柱命神社

創立年月日は詳かではないが、式内社で、延喜式神名帳には「伊豆国那賀郡二二社国柱命神社」とあり、また伊豆国神階帳によれば、「従四位上国原姫の明神」とある。いずれにしても当地開殖の祖神で、他から勧請した神社ではない。古くは岩科の宮と称し、後に伊勢神明宮又、単に神明宮とも言ったが、明治18年国柱命神社と復称した。本殿内に「建治2年(1276年)大歳丙子3月29日平泰行藤原重安」と墨書した御霊代奉安板札を安置している。これにはまた元応元年(1319年)9月19日の日付もみえる。板の中央上部に直径十数センチメートルの正円の日焼け跡あり、今は失われた鏡があったものと思われる。
現在地より少し下ったところに下屋敷という所があり、社伝によればこれは旧社地で、中世に現在地に移ったという。また、ここに古井戸があって、上古の神饌水であったとも言われている。近辺には神社に縁のある地名(宮畑、神田、神奈場その他)が数多く残っている。
もと岩科村の枝郷であった道部村が、寛文4年(1664年)に分離独立した後も、棟札五に明記されているように、現在の岩科8区と道部区を氏子とするこの地域の総鎮守であった。「岩科」が国柱の転訛で、イワシラ更にイワシナと訛ったものと考えられる。

松崎町HP



國柱命神社

國柱は久爾乃美波之良と読り○祭神明か也○在所詳ならず

神社覈録



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