明神社
あきらじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】志婆加支神社 伊勢国 鈴鹿郡鎮座
   【延喜式神名帳】比佐豆知神社 伊勢国 奄芸郡鎮座

   【現社名】明神社
   【住所】三重県津市芸濃町楠原303
       北緯34度50分21秒,東経136度24分49秒
   【祭神】伊邪奈伎命 伊邪那美命
       (配祀)饒速日命 市杵島比売命 迦具土命 倉稲魂命 木花佐久夜比売命
       金山彦命 品陀別命 大山祇命
       (合祀)大己貴命 建速須佐之男命 五男三女神 菅原道真 国之狹槌命
       熊野久須毘命 八街比古神 恵那津彦命 多伎津比売命 八街比売命 活津彦根命
       久那戸神 天忍穗耳命 天津彦根命 天穗日命 多紀理比売命

   【例祭】10月15日 例祭
   【社格】
   【由緒】天正年中、社頭衰微
       明治40年12月に明村の各社を合祀して明神社と単称

   【関係氏族】
   【鎮座地】もと御手洗(みたらし)の字名が残る愛宕山西の小高い丘にあつた
        天正年中、社頭衰微し、のち現在地に遷座

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「紫垣社」「天神社」と称していた
   【社殿】本殿神明造
       拝殿・庫

   【境内社】

伊勢自動車道伊勢関ICの南西300mにある。集落の北池の辺にある。叢林がよく目立つ。
もとは現地の西南西500mの御手洗(みたらし)の字名が残る愛宕山西の小高い丘にあつた。
天正年中、社頭衰微し、のち現在地に遷座したという。明治40年12月に明村の各社を合祀して明神社と単称するに至つた。
志婆加支神社は論社がいくつかあるがいずれも難があり、現状では継承社は不明である。
御巫清直は当社を比佐豆知神社(奄芸郡鎮座)に比定している。


明神社

当社は、もと延喜式内志婆加支神社であったとする説があり、異説のあって定かではないが、旧御社地は現在の愛宕山の西方に広がる丘の上にあり、岩坂に出る道が参道であったようである。御手洗という小字名は、参道途中の手水舎の古跡でそのあたりを無里(無郷)をいう由である。現在の「底田」は古く舟底田御薗と言い上古、内宮の御神領で毎年籾六斗を内宮の倉庫へ上納していたことが「神鳳抄」に見えている。天正年中(1573-1591)社頭の荒廃著しく現在地へ奉遷したということである。明治40年の頃には林地区を除く旧明村各地に村社、無格社が38社を数えたが、明治41年各地区一社計六社に合祀し、同45年1月4日現在の鎮座地にすべての社を合祀して明神社と単称し今に至ったものである。

皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会



志婆加支神社

志婆加支は假字也〇祭神詳ならず○柴崎村に在す、(俚諺)
考証云、大八洲霊、勢陽俚諺是に從ふ、拠を志らず、又考証に、在楠原村、称天神此乎、俚諺に、未詳、今考柴崎村と云り、今是に從ふ、

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