この地は麻績郷と呼ばれた地域で、一帯に勢力を持った麻績氏が創建したと伝。麻績氏が伊勢神宮へ奉納する衣の生産を一部行っていたことから、この社の織殿の名があるとされている。 明治35年の『村社織殿神社御由緒調査書』には、社掌田邊宗次郎が当社を式内大海田水代大刀自神社としている。 |
織殿神社 本殿 神明造、境内571坪、氏子51戸(小藪・西出・須田) 平成22年12月には式年遷座祭を執り行う。本殿、拝殿、玉垣を新造する。 〔境内に現存する古い奉納物〕 @社名額 正徳5年(1715) A大石鳥居 嘉永7年(1854)B石灯篭 宝暦7年(1757)1基、天保5年(1835)1基、嘉永6年 (1853)1基)C幟石柱 明治24年(1891) 由 緒 創建の年は不詳であるが、古くこの辺りは麻續郷(おみごう)と呼ばれ、『伊勢国風土記』の一部残されている文書には、「麻續の郷となずくるは、郡の北に神あり、この神、大神の宮に荒妙(あらたえ)の衣を奉る。神麻續(かんおみ)の氏人等この村に別れ居りき。よりて名となす」とあり、一説には、この麻續氏が自らの祖神をこの地の小藪に祀って、神宮に奉献する神衣を調製していたので、織殿と称するようになったと言われている。 また、往古、神宮の神御衣祭(かんみそさい)に荒妙を供える神麻續機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ、松阪市井口中町)に奉仕した人々の中には、この地に住む者も多く、神職がここから機殿へ往来したという禰宜道(ねぎみち)の跡も残っている。 江戸時代には織殿八王子と呼ばれていたが、明治5年の神社改めで織殿神社と改称された。 三重県神社庁 |
織殿神社由緒 創建の年は不詳であるが、祭神は天八千ケ姫命と言い伝えられる。 古くこの辺りは麻績郷と呼ばれ、『伊勢国風土記』の逸文には、麻績の郷となづくるは、郡の北に神あり、この神、大神の宮に荒妙の衣を奏る、神麻績の氏人等この村に別れ居りき。よりて名となす」とあり、一説には、この麻績氏が自らの祖神をこの地の小薮に祀って、神宮に奉献する神衣を調製していたので、職殿と称するようになったと言われている。 また、往古、神宮の神御衣祭に荒妙を供える神麻績機殿神社(松阪市井口中町)に奉仕した人々の中には、この地に住む者も多く、神職がここから機殿へ往来したという禰宜道の跡も残っている。 平成22年12月 吉日 式年遷座記念 寄進 社頭掲示板 |