鎌倉中期御堀河天皇の貞永2年(1233)、宇佐八幡宮を勧請し合祀した。 以降八幡宮と称したが明治2年、旧号に復し、郷社に列した。 鴻巣山の西麓にあたり、鴻巣山を御神体山としてたと考えられている。 |
由緒 当神社は延喜初年の創建。延喜式神名帳に鴨神社(鴨神小)とある児島郡内最古の神社で、備前国式内二十六社の一である。平安期初頭に大和国葛上郡加茂に鎮座する高加茂神社の神を勧請し創建したもの。鎌倉中期御堀河天皇の貞永二年、宇佐八幡宮を勧請し合祀した。以後八幡宮と称したが明治2年旧号に復し、郷社に列した。もと、社領田一反歩あった。明治40年1月、神饌幣帛料供進神社に指定せられた。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
鴨神社 当社は延喜式神名帳に鴨神社明神小とある旧児島郡内最古の社にして備前国式内26社の1なり。平安初頭に大和国葛上郡加茂に鎮座する高加茂神社の神を勧請し創建せらる。今を去る2070有余年前醍醐天皇御宇延期年間に神名帳に記載される格式を整へるに至る。降って鎌倉中期後堀河天皇御宇貞永2年(1233年)宇佐八幡宮を勧請し合祀さる。以後八幡宮と称せしも明治2年(1869年)旧号に復し郷社に列せられる。市内唯一の郷社なり。元社領田一万歩(吉備温故)を有す。明治40年(1907年)1月27日神饌幣帛料を供進することを得べき神社に指定せらる。自今県より供進使の派遣を見たり。本殿は入母屋箱棟獅子口に造営桧皮葺(元)の棟に千木鰹木を配す。3間2面の本殿拝殿共に彫刻をほどこざるに簡素にして荘厳なり。かつ十棟に十六菊花紋の瓦をいただくも修復に当たり復元する事かなわず姿を消すに至るは惜しむに余りあり。 社頭掲示板 |
鴨神社 この神社は、国鉄・宇野線八浜駅から南々西へ約6Km、国道30号線の秀天橋交差点からは県道・槌ケ原〜日比線を南へ約3Kmのところの東側の山すその、玉野市艮尾1173番地にある。もと郷社。 社伝によると、平安時代の初め(8世紀末)ごろ、大和国の高加茂神社を勧請したが、鎌倉時代の貞永2年(1233)に八幡神を相殿に祭り、これ以後八幡宮と称したとしている。江戸時代の備前の地誌・記録はどれも八幡宮で載せており、初め正八幡宮と称し、正徳年間(1711〜16)以降は加茂八幡宮と称したらしく、明治以降の資料になって現在の社号が記されている。 祭神は、味?高日子根命(別名・武角身命。大国主命と宗像三女神の一人多紀理姫命との間の長子)を主神として、応神天皇、神功皇后、仲哀天皇を相殿に祭るとしている。 社殿は、南西向きに建てられており、本殿は、明治15年(1882)に改築されたもので正面三間・側面二間、入り母屋流れ造り・銅板葺き(もとは桧皮葺き)である。 境内の末社には、愛宕神杜、厳島神社、稲荷神社、荒神社のほか四〜五社がある。このうち、荒神社は、かつては婦人の乳の病気を治してくれる神様とされ、病気平癒のお礼の乳絵馬が多数供えられていたという。 社頭掲示板 |
鴨神社 当神社は延喜初年の創建。延喜式神名帳に鴨神社(鴨神小)とある児島郡内最古の神社で、備前国式内26社の1つである。 平安期初頭に大和国葛上郡加茂に御鎮座する高加茂神社の神を勧請し創建されたものである。 鎌倉中期御堀河天皇の貞永2年(1233)、宇佐八幡宮を勧請し合祀した。 以降八幡宮と称したが明治2年、旧号に復し、郷社に列した。明治40年1月、神饌幣帛料供進神社に指定された。 岡山県神社庁 |